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★スマぶろ

2009 ANさん [出会い]

投稿日時:2009/10/13(火) 07:07

走ることの意味  A.N

ANです。昨年(2005年)の9月から自宅近くでジョギングを始めました。平日は朝1-2キロ、休みの日は王子競技場あたりで10キロ程度、我流で走っています。

30代も半ばを越え、体力の低下を自覚し、このままでは遠くない将来、娘に追い越される!と、危機感を覚えたために、ジョギングを始めました。あと、おいしいものをいっぱい食べるためということもあります。

始めてみると、意外とできるやんと、自画自賛。そのほかにも、いいこと発見。「こんなところにしみが!」ジョギングで日焼けするから、しょうがないのよー。「めじりにしわが!」ジョギングしてるからねー。「白髪が!」ジョギングで・・・関係ないかも?いずれにしても、年齢を重ねることに対して前向きになりました。私、6年前に夫に先立たれ、落ちるとこまで落ちた感で充満していた頃もありました。昨年末、亡き夫の7回忌も済み、ジョグのおかげもあり、気分晴ればれ。

人生、これからもきっと色々あるのでしょうけれど、くじけず頑張るぞ!と、さっぱりした気持ちで過ごしていきたいと思います。

2005年12月の加古川市民マラソンは、娘と一緒にファミリー2キロに出場しましたが、娘の遅いペースのため不完全燃焼でした。2月のバレンタインラブラン、そしていつかはホノルル!と、夢は大きくいってみたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。

 

古いUSBを片付けていたら、上記の文章が出てきました。職場での広報誌に投稿したものです。改めて、今も基本は変わっていないと思いました。

細かいことは気にしない。とりあえず走ってみる。だめなら立ち止まる。行けるとこまで行ってみる。そのため、服をきて靴を履いて、まずは走ってみる。

夫のこともあったので、当時、娘との時間を、何事にも代えることはできない貴重な時間だと認識し、それはそれは大切に過ごしてきました。普通の日常が、私にとっては特別なものでした。

現在、娘は思春期の入り口におり、あまり密接すぎるのも嫌がるようになり、そのおかげで、徐々に私も走ったり勉強したりする時間を持てるようになりました。ある意味、走ることで私も外に目を向けることができて良かったかもしれません。

我流で走って3年半で、なんとかフルをぎりぎり時間内に3回完走、とは言うものの、毎度ひざの痛みに泣きそうになりながらのゴールでした。しかし不思議にも、平行して、仕事面でも必要最低限の仕事から、プラスアルファの仕事ができるようにもなりました。こんな私でもやればできるの厚かましい精神が身についてきたのでしょう。

そして、2009年2月、AOさん(6年ほど前、同じ職場でした)からのお誘いを受け、北須磨クラブの練習会に初参加しました。

その前の週に、バレンタインラブランのハーフを走れているので、まあ、楽についていけるかな。と思ったら、とんでもない。ぜーはー息切らし、しあわせの村に着いたとき、ここはどこ?私は誰?って感じで。きっと脳血流が低下していたのでしょう。上り坂は、全く走れず歩くのみ、増水中の20クロスでは、足がすくみ、そして極めつけ、一体、何度登らせるつもりなのか、ハーブ園への急坂を見たとたん、がーーーん、とショックを受けました。そして最後の下りも、1歩1歩が膝にきて痛く、ほうほうの体で帰宅しました。でも帰宅一番、娘には、楽しかったよ、と報告していました。あんなに苦しかったのに。

そんな私も、いつの間にかしあわせの村の坂をしゃべりながら上れる様になり、30キロ走っても膝は全く痛まなくなり、走る幸せを満喫しています。

しかし、人間欲は出るもので、少しでも楽に走るには、少しでも速く走れるほうが良いのかもと、走ることに費やす時間は多くなり、とうとう、今日、お掃除ロボットルンバ君を買ってしまいました。これで毎朝10分は時間が浮くはず。今もせっせと足元で働いています。

走ることから始めてみたら、色んなことが付随してやってきました。正直、良いことばかりだと思います。

クラブの皆のように、20年、30年、そして40年と、ずっと走り続けたいと思っています。

今後も、なにが起こるか楽しみです。

 


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